The Yakumo Project による「はやぶさ」情報翻訳を振り返る

昨年 11 月に小惑星イトカワタッチダウンした探査機「はやぶさ」.はからずもこのミッションは日本語ドキュメントを英語圏へ発信する "The Yakumo Project" の最初の活動の舞台となった.最近になって,この活動を総括する記事がいくつか世に出た.

この機会に,私も当時のことを少し振り返ってみたいと思う.(長文です)



結論からいうと,どうやら The Yakumo Project とはやぶさミッションを引き合わせてしまったのは,私自身だったようなのだ…orz.これには驚くと同時に大変恐縮した."The Yakumo Project" の提唱者である福盛さんを無理矢理引きずり込み,のちには自分自身が逆に引きずり込まれて,思わぬ展開をみせたこのプロジェクト,当初はまさかこんな大事になるとは予想だにしていなかった.



2006 年 11 月,イトカワに到着した「はやぶさ」はタッチダウンへ向けてリハーサル等を重ねていた.11/19,JAXA 本家よりも情報が早い「松浦晋也の L/D」 (以下,「L/D」) にアップされる記事にワクテカしつつ,ブログ界で話題になっていた記事,福盛さんの "The Yakumo Project" にふと目をとめた.11/15 にスラッシュドット・ジャパンで No More "Sorry Japanese Only" Documents という似たような問題意識のトピックを読んだばかりだっただけに,非常に印象に残った.



11/20,第一回目のタッチダウン.海外の宇宙開発掲示板 UnmannedSpaceflight.com (UMSF) でも「はやぶさ」のスレッドが猛烈な勢いで伸びていることが報じられ,英語圏の人達の注目とフラストレーションを肌で感じることができた.これにいち早く気付かれた 5thstar 管理人さんが,ご自身のブログで「L/D」の翻訳を開始された.この記事を読んだ瞬間思ったのは,「ああ,これこそ "The Yakumo Project" の理念の具現化そのものだな」ということだ.それで,こんな記事を書いた.この時の思いは以下の文に集約されている.

ソフトウェアでも宇宙開発でも,英語圏の人達はかなり必死に日本の情報を追おうとしてるのだ.
当時,私は "The Yakumo Project" をなんとなくソフトウェア・情報技術寄りのプロジェクトだと勝手に思い込んでいて (福盛さんがそういう方面の方なので),「はやぶさ」関連翻訳とは全く別の流れとしてとらえていたが,その根底にある思想に何か共通のものを感じていた.まあ確かにこの時点では,"The Yakumo Project" の視界に宇宙開発分野は陽には入っていなかったようではある.



さて,この記事を書いた時点では,私は福盛さんの日記にトラックバックを送信し忘れており,気がついてあわてて送信したのが 11/26 の夜である.しかし,それより前の時点で,福盛さんは何かのきっかけで私の記事をうっかりご覧になったようだ (多分,tDiary の「リンク元」から辿られたのではと推測する).これが,福盛さんにとって苦難の始まりであったw.記事に興味を引かれたそうで,11/23 頃に L/D や 5thstar 管理人さんの日記などを頼りに調査を開始されたようだ.



ちなみに,11/20 の「L/D」では他にも taro さんが翻訳を寄せられたり,11/22 には木下充矢さんが的川先生の文章翻訳されている.ボランティアの輪はこのあたりから確実に広がってきた.



11/26,第 2 回目のタッチダウン職場のサーバ障害を徹夜で復旧したばかりの私はw,へろへろになりながら「L/D」の更新を追いかけていた.そこへ,目をみはるスピード (とクオリティ) で翻訳を「L/D」コメント欄に逐一提供する人物が現れたRogue Engineer さんである.休みなく次々とアップされる翻訳を私はただただ驚嘆しながら眺めていた.この Rogue Engineer さんこそ,なんと実は福盛さんだったのだが,情けないことに私は全く気付いていなかった.とほほ.



ちなみにこの日,祭り状態となった UMSF では数人の日本人らしき方々が「L/D」の補足情報などを流したりしていた.それにつられ,私も彼らに混じって断片的に情報を書き込んだりしてみた.



さて,超人的な翻訳を続けられていた Rogue Engineer さんも,さすがにいったん休憩をとられることになった.残った部分を zunda さんが途中まで翻訳され,いったんそこで翻訳リレーが途切れた.昼間の UMSF へのポストで気が大きくなっていた私は,思わず残りの一部を翻訳して投稿した.今読むとよくこんなひどい翻訳で投稿したもんだと思うが,まあ通じればいいやということで思い切ってポストしてしまった(ぉ



戦いが終わり,その日の夜になってようやく 11/20 の記事のトラックバックを福盛さんに送信する.福盛さんにしてみれば,何を今さらと思われたに違いない.さらに翌日の 11/27,スラッシュドット・ジャパンの記事で,Rogue Engineer さん=福盛さんということを知り(遅,あまりに驚いて以下の記事を書いた.そして再度トラックバックを福盛さん宛に送信した.まさか自分の記事がきっかけだったとはつゆ知らず,これも大変な勘違い記事になってしまった…orz 恥ずかしいなあもう.



11/29,スラスタのトラブル発生に関する記者会見.15 時すぎに「L/D」に短信がアップされた.今回も Rogue Engineer さんの翻訳が出るだろうか,とも思ったが,さすがに平日ということもあり,16 時 20 分頃になっても特に誰も動いていないようだった.数行の非常に短い記事だったので,仕事の合間にえいやっと翻訳して投稿する.続いて,詳細記事が出たが,ついでということで,これも勢いで 19:30 頃に翻訳を投稿した.



12/7 の記者会見.この日の翻訳には Rogue Engineer さんや zunda さんに加え,hir さんなども加わった.私も帰宅後に参加したが,各自並列で勝手に翻訳を進めるため,どうしてもコンフリクトが起きてしまう.そろそろルールのようなものが必要かな,と感じ始めていた.



そんな矢先,福盛さんからメールが来る.三嶋さんという方が翻訳の場として Wiki を提供しましょうと言って下さったのだ.今までの翻訳体制に限界を感じていた私はすぐに賛同.他の方々も賛同されていた.こうして,JSpace という翻訳用 Wiki が誕生した.



さて,環境も整備され,満を持して 12/14 の記者会見を迎える.はやぶさの帰還期限が迫っていたこともあり,今後の運用に関する重要な報告が期待される会見であった.最初の速報はすぐに三嶋さんによって翻訳がアップされた.続いて出た詳細を三嶋さん,hir さん,私で手分けして翻訳し,次いで福盛さんが校正をかける.Wiki のコメント欄などを活用したおかげで,コンフリクトもほぼ皆無で校正までできるという,夢のような翻訳環境が実現した.最後の記事Rogue Engineer さんの手による名訳で締められた.



その後,はやぶさは救出モードに入って報道も一段落し,翻訳も現在はストップしている.そしてつい先日,福盛さんを否応なしに引きずり込んでしまったのは他ならぬ私自身であったことを知り,無責任な記事を書いてしまったことを反省した.申し訳ありません.とはいえ,福盛さんという英語が大変に達者な方が参加して下さったからこそ,次々と優秀な方が参加して翻訳の質も規模も拡大し,翻訳が海外のニュースサイトで JAXA 側の言葉としてそのまま使われるほどになったのだと思う.



次に手伝えるかどうかはわからないが,"The Yakumo Project" そして JSpace を今後も一個人として応援していきたい.今度の ASTRO-F の打ち上げ前記者会見などは,zunda さんが

…この記事も英訳した方がいいのかな。
書かれているASTRO-F がどの程度海外から注目を集めているのか,私は把握できてないし,「はやぶさ」情報に比べれば需要は若干少ないかも知れないが,まあ需要の有無に関わらず,よい記事は手の空いた人がどんどん垂れ流していくというのもありかも知れない.



個人的には,もう少し英語を何とかしなきゃな(ぉ.今回参加されていた方々はとんでもなく英語がデキる方々ばかりだった.こっちの英語は (急いで訳したということを差し引いても) もうひどいもんで,2ch でも直訳すんなとか言われてしまったので(激ぉ



最後に,関係者の皆様,大変お疲れ様でした.願わくばこれをきっかけとして "The Yakumo Project" がいろいろな分野へ広がっていきますように.