チャレンジャー号の都市伝説
1986 年 1 月 28 日,スペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げ直後に爆発し,クルー 7 名の命が失われた.当時,私はボイジャーの天王星接近 (今調べたらなんと,最接近はチャレンジャー事故わずか 4 日前の 1986 年 1 月 24 日である) にwktkしつつ,宇宙への興味を急成長させていた時期だっただけに,子供心に大変ショッキングな事件だった.爆発の瞬間の TV 映像は今でも目に焼き付いて離れない.
そのチャレンジャー号クルーの最後の船内の会話とかいうものを数年前からネットで見掛けるようになった.
…ただ,このトランスクリプトはガセだったとしても,爆発から着水までの間,クルーが生存しており意識があった可能性は否定できないのだそうだ.少なくとも非常事態が起こったことは認識していたようで,4 つあるエアパックのうち 3 つがアクティベートされた跡があるという.余談だが,これを読んでいて,1985 年 8 月 12 日の日航機墜落事故のボイスレコーダと事故調査報告書を元にした flash を去年見たのを思い出した.こちらは実際の音声を基にしたもので,ガセではない.事故当時,NHK のニュース速報で「日航機行方不明」というテロップを見て,「行方不明? どういうことだ???」と思ったことを覚えている.「とんでもないことが起きた」と子供心に大変な戦慄を覚えた最初の社会的事件である.その翌年,チャレンジャー事故,さらにチェルノブイリ原発事故が起きた.当時はただ何やら大変な怖いニュースとしかとらえてなかったこれらの惨事の詳細を今になって読んだりすると,いろいろ思うところはあるんだけど,それはまた稿を改めたいと思う.
The "transcript" quoted above was the fanciful product of someone's imagination and appeared in a February 1991 issue of Weekly World News, a tabloid famous for creating news stories out of whole cloth. There never was such a transcript, nor was the crew of the Challenger known to have been wearing personal recorders. Moreover, personal recorders would not have picked up the comments of crew members on different decks, as the faked transcript would have us believe.
関連記事: 宇宙開発をめぐる噂の真相シリーズ
- 第 1 弾: 宇宙開発におけるソフトウェアバグ [2005-12-13]
- 第 3 弾: 「一方ロシアは鉛筆を使った」の真実 [2006-07-31]
- 第 4 弾: Mr. Gorsky の真相 [2006-11-18]
- 第 5 弾: Mars Global Surveyor の通信途絶の真の原因はソフトウェア更新時の人為ミスか [2007-01-14]
- 第 6 弾: ガチャピンは本当に宇宙へ行っていた [2007-08-25]
- 第 7 弾: ガチャピン「また宇宙に行きたい」 [2008-05-23]