屈辱感による原動力は強力ではあるけれど…

先日見逃した [2007-02-11] NHK「仕事の流儀・プロフェッショナル」の再放送を録画してあったのを見た.ゲストは MIT メディアラボの石井裕氏.



MIT で教授をやるというのがいかに大変なことかわかって非常に面白かったが,いろいろ考えさせられたのは,実は増井さんのブログの感想.番組中で原動力の源は何かと問われた石井さんが「屈辱感です」と即答したことに対して.


石井氏は番組中で屈辱感が重要だとか言ってようだが、それはいかにも不健康であり、万人に勧められるようなものではないだろう。できれば悠々といきたいものである。
実際,屈辱感とか恐怖といったネガティブな感情はとんでもなく強力だ (「この負のパワーを力に変えて…!」TMってやつだw).私自身,そのものすごい比推力から,今までに何度もこの手のパワーを「利用」したことがある.周りがみんな自分より優秀だから [2007-01-10] コンプレックスには事欠かないし,恐怖が根底にあると生産力が跳ね上がることも経験的によく知っている [2006-06-03]



しかしこいつらは強力な分,跳ね返って来るダメージも半端じゃない.屈辱感なんて自分を落としめることで生まれるわけだから,ダメージが深くて当然だ.慢性的に頼っていると MP がどんどん減って自転車操業的な精神状態になる.ここぞという時に起爆剤として使う分にはネガティブな感情は大変効果的だけど,心の中の種火として使うのは,多分,精神衛生上あまりよろしくない.増井さんのいう「不健康」はこういうことなんだと思う.



もちろん,おそらく石井さんはこのあたりのことは痛いほどわかっていて,ぎりぎりのところで絶妙な舵取りをしているのだろうし,こういうウルトラ高燃費な原動力を投入しないとやっていけないのが MIT の教授という職なのだろう.ただ我々一般人にとっては諸刃の剣のような気がする.原動力もネガティブやらポジティブやら分散管理して,どれかが被害を受けた時でもリスク分散させておくのがよいのかも知れない.