朝永振一郎の日記

なんとなく朝永振一郎「滞独日記(抄)」を読む.



2 年くらい前から時々読み返している.わずか 40 ページほどのこの日記に,31 歳の朝永氏の苦悩や焦りが綴られている.


さて、おきて、数値計算にとりかかる。計算尺ばかりいじって数字をかきならべている。その間は余念ないが、さて、お前は一体何をしているのだと問いかかると、ただ時間のみがつぶれて行くような気がする。

仁科さんから手紙がくる。その手紙をみて、なみだが出てきたのは、実にセンチだ。(中略)「業績のあがると否とは運です。先が見えない岐路に立っているのが吾々です。右へ行くも左へ行くもただその時の気や運で定まるのです。それが先へ行って大きな差が出来たところで余り気にする必要はないと思います。」

丁度自分一人とりのこされて人々がみな進んでいくような気もちがするのである。そこであたりを見まわせば、とりのこされた人も大ぜいいいるではないかと自らなぐさめてみたのである。ところが、そういう人はとりのこされているのではなく、自らの人生観に従ってそうなっているのである。善良な人間として、満ち足りているのである。

結婚すれば考え方が変るものであろうかしら。子供が出来て、それを父おやとして教育するなどということが出来るかしら。父おや自身どうなっていいか判らずに子供をおしえることが可能であろうか。こう考えると学校の教師にもなれない。教師が目標ももたずに人の子を教えることが可能であるとは思われない。

ワタナベがベルリンに行ったのは、ワイツェッカーに会いに行ったのだろうとふと思ったのだ。エントロピーの仕事が大変面白いのでハイゼンベルクがワタナベに、是非ワイツェッカーとディスカスせよと言った結果、彼はベルリンに行ったのであろう、とこんな考えがふとうかんで、それから例によって、己が身に引きくらべて、ねられなくなったのである。

わたなべに会う。例の病的妄想はうそだった。

そろそろ物理をはじめようと思って、何かいい問題もがなと思うがいい思いつきもなく、苦しむ一方だ。どうして自分はこう頭が悪いのだろう、などと中学生のなやみのようなものが湧いてくる。

自ら御奉公出来ない教師はたしかに最上の教師ではない。しかし、それでも人間として若い人と一しょに行くことは出来るだろう。そのために少くともより悪くなることはないだろう。

そのうちふと、湯川は今ごろ何をしているかと思いドキドキする。ひねるさんから「色々お話ししたいことがあります」と言ってきたのは、湯川のところでどんどん仕事が進むことか。或いはまた、湯川が京都の教授になったのではないか、そしてひねるさんがまた一しょに京都に行くのではないか、などという想念がおこってくる。

ゆうべ夜中に目がさめて考えてみると、今の計算がどうやらうまく行きそうになってくる。そうなると、もう、出来たような気がしてくる。こうふんしてねられない。(中略) ところがあしたから一週間キッツビュールへ行かねばならぬ。その間にだれかがもうやって、発表してしまいそうな気がして、気が気でなくなる。

二月二十三日の計算誤りなこと見出す。(中略) さて、そうなると一月無駄にしたバカさがしゃくにさわる。(中略) ああ、競争はつらいものだ。うまくいかねばくさるし、うまくいきそうだと、誰かがやっているような気がしてくるものだ。
ちなみに,このような記述のあいだに,将来くりこみ理論へとつながる最初のきっかけが,以下のようにさりげなく記されている.

計算すすめたら積分が発散した。おかしい。




ちなみにこの日記と一緒に収録されている「光子の裁判」(波乃光子という被告にまつわる裁判劇) も秀逸.粒子と波動の二重性が,ようやく理解できた気が…